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2020/3/13

マインドフルネスから0(ゼロ)地点へ

マインドフルネスという考え方、瞑想の技法があるのをご存じでしょうか。

 

マインドフルネスは禅という仏教から派生したものであり、禅はヨガや老荘思想から生まれたものです。

 

ヨガは健康法としての側面が強く伝わっていますが、元々瞑想が中心にあります。

 

老荘思想は道教として現代に伝わっていますが、仏教の中で老荘の思想を強く取り入れたのが禅であり、中国で生まれました。

 

しかし中国では発展せず、日本において禅は広がり現代に伝わってきています。もちろん中国やタイなどでも禅は残っているのかと思いますが、日本において禅が受け入れられ、現在も多くの方が禅に憧れるのは、日本人に古くから伝わってきた神道との共通点があるからだと思われます。

 

日本においては孔子の儒教が江戸時代に幕府よって尊重されましたが、禅が廃れなかったのは武士の存在があったからだと思います。

 

日本人の精神性は武士道によって培われたものが大きく、その源流は禅にあると言われています。もちろん儒教もそこに加わり、神道も加わり、日本独自の精神性が作られて行ったのだと思います。

 

禅において空や無という言葉が出てきます。これは己を虚しくしていくこと、あらゆる執着から解放されていくことが無になっていくことに繋がるのですが、他の仏教においても技法が違うだけで執着からいかに抜け出るかが様々なやり方で伝わってきたと言うことができます。

 

マインドフルネスにおいて大事なのは「まるごと全部」ということであって、いい悪いと自分で判断していたことをやめて、すべて受け入れてみようということに視点を向けさせているのです。

受け入れるというのは能動ではなく、受け身です。ここに老荘思想が出てくるのですが、自分で何かをしなくてはいけないという思い込みに気づくと、すべてを受け入れているということに気づくことができます。

 

受け入れるというのは、受け入れるという行為を行うのではなく、何もしなければ受け入れているという元の状態に気づくということです。

 

このマインドフルネスの意識になって状況を受け入れるということが、あらゆることを良い方向へ向かわせる極意であると、体験者は思うのです。

 

体験してみないとわかることではないのです。やってみないで頭でああだこうだと考えて、結局本気で何も取り組んでいないという人が多くいるのです。

 

病気になって初めて本物の価値に気づくことがあります。今まで大切にしていたものが何も価値がなかった、必死になって追い求めていたものが、実は本当に求めていたものではなかったと、気づくことができます。

 

身体的な苦痛は体にありますが、元はエネルギーです。エネルギーは思考であり感情です。自分にこびりついている思考をはがし、感情を浄化させればほとんどの身体的な苦痛は消えていきます。

 

ですからマインドフルネスで大切なのは思考や感情との向き合い方になります。

 

思考、感情とマインドフルネスになれれば身体的な苦痛はすぐに影響が出ます。人によってはうそのように楽になることもあります。

 

身体的な苦痛を無視しろと言っているわけではありません。それも含めてマインドフルネスになることはできますが、身体的な苦痛から意識を離すことも大切で、思考や感情にマインドフルネスになると身体的な苦痛は明らかに軽減されるという事実があるのです。

 

ここで大切なのは不安や恐れ、自分が悪い、あいつが悪い、病気が憎い、社会が憎いなどという思考や漠然とした苦しさ、押しつぶされそうな感情の固まり、理由のない悲しみ、失望感、虚無感など、どんな思考、感情に対してもマインドフルネスになるということです。

 

不安が強くでた時に、これはいけない感情だ、このままにしていてはいけない、どうしたらよいのか、自分は相変わらずだめだ、不安は無くならない、いつまでたっても変わらないなどと、反応してはマインドフルネスではないということです。

 

不安を敵視し、戦おうとしたり、どうにかして排除しようとしてしまうこともマインドフルネスではないのです。

 

調子のいいときはマインドフルネスができていると思っても、いざ不安やいやな感情が押し寄せてきた時にはマインドフルネスがどこかに吹き飛んでしまうという人が多いのではないかと思います。

 

なぜならここに最重要ポイントがあり、多くの人がパターンから抜け出られない秘密があるからです。

 

大切のなのは反応している自分に気づくことです。

 

例えば嫌な話を聞いた、誰かが不安になることを言い出したとします。これまで穏やかだった心の中に雲が差し込んできて、いやな感情が押し寄せて来たとします。

この時、人はいろんな反応をしてしまいます。人を責めたり、自分を責めたり、社会を恨んだり、何かうまくいっていない、結果的に不安は嫌な感情を引き寄せ、自分の体は硬く緊張し、鼓動は早くなり、悲しい気持ちになってしまった。いつものように不安はやってきて、自分を苦しめた。何かあればまた不安は来るだろう、自分はそれを止めることはできない、それによって苦しむ、身体はダメージを受ける、この繰り返しだ。

 

これはマイナスに反応を繰り返し、状況を悪化させている例です。

 

何かあった時、不安が出てくるのは自然だと思うことが大切なのです。この最初に抱いた不安さえも問題視してしまうと解決の糸口は見つかりません。

 

最初に抱く不安、これは人間として動物として自然なことだと受け入れることが大切なのです。

 

最初に抱いた不安は何も問題ないということをはっきりと認識することが大切です。

 

そしてここからが重要です。

 

不安や恐れ、苦しい感情を抱えたままで「このままでいいんだ」と自分に言ってあげてください。

 

自分を批判しようとしていたことに気づいてあげてください。

 

自分には批判ではなく「思いやり」を向けてください。

 

何かつらい状況が起きた時、本能的に何かを取り除こうとする気持ちが働きます。

苦しい感情を取り除こうとしてしまいます。

 

すべてはそのままにして、「自分に対する思いやり」をそこにオンするのです。

 

何かを取り除くのではなく、付け加えるという価値観に変えてください。

 

それが「思いやり」です。

 

どうしようもなく苦しいその最中で、逃げ出したいと思いながらでも、「このままでいい」「まるごと全部そのままを感じてみよう」

「自分は何もしなくていい」「何も悪いことは起きていない」「すべてOK」などの言葉で状況と向き合ってみてください。

 

そしてわずかでも自分を優しく思いやってください。それができるということに気づいてください。

 

「自分は不安を体験している」「苦しい感情と身体的な痛みを体験している」そしてそこに「思いやり」をオンしてみてください。

 

そうしていると不安は消えていくしかなくなるのです。身体的な苦痛も感情も自然に消えていくのを体験すると思います。

 

この体験をすると、次に何があっても怖くなくなります。自分をどうにかするものなどどこにもいない、という気持ちになるのです。

 

そして以前より不安が襲って来ないことに気づき出します。自分が恐れなくなると不安は小さな存在に変わるのです。

 

マインドフルネスはまるごと全部、すべてをあるがままにという意識です。これを意識していると自動的に0地点の意識になるのです。

 

何もない、何もしなくていい、過去も未来も、時間も、自分という自意識もない0地点に入って行くのです。

 

ですからマインドフルネスを意識することは0地点を意識することにも繋がるのです。

 

また不思議なもので0地点の奥にはもっとマインドフルネスになった意識が見つかります。

 

そしてその奥にはもっと深い0地点が見つかります。0地点というより静寂、永遠性かもしれません。

 

何を感じるかはその人の感性次第です。

 

そしてこの体験を重ねて行くと自分が輝き出します。病気が治るなんてものはその側面の一部に過ぎません。

 

私がそうであったように病気はマインドフルネス、0地点を体験するチャンスです。ここから真の健康を取り戻し、本当の人生を見つけられるのではないでしょうか。

 

 

 

 

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