前回からの続きです。
体の0地点を意識する時、私は丹田への意識を持つことをお勧めしています。その理由として座って呼吸を整える時間を摂る時に、体の重みが落ち着くところ、そこが丹田だからです。
丹田は力を入れるところではありません。体の重み、体の力みが落ち着くところ、精神の緊張や興奮などが落ち着くところです。それはまるで濁った水が静まると濁りが下に沈殿していくようなものです。透き通った水と濁りが徐々に分離して沈殿していきます。きれいな湖を想像してください。だんだんと澄んでいく水のようにあらゆるものを丹田の中に落ち着かせていくのです。無駄な力は抜けていきます。しかし背骨はまっすぐにしていてください。猫背になったり、体を反らしすぎたりして、体に緊張を作らないでください。
本当に垂直軸が作れると、背中の脊柱起立筋や腹筋に力が入らないまっすぐな軸を見つけられます。するとどこにも力が入っていないので長時間座っていても疲れないのです。
私たちは外にある様々な環境に影響を受けています。気候、温度、空気、光、匂い、感触など。それらは常に変化し私たちはその変化に対応することが求められます。しかし唯一変わらないのが重力です。常に変わらない重力に身を任せるとき、この重力を拠り所とすることが私たちにはできるのです。
体の力をどんどん抜いていきます。重力を感じることで力みが消えていきます。心が落ち着いていくのを感じることができます。
何かに身構えていたこと、恐れていたこと、戦おうとしていたこと、いろんな力みや緊張に気づいてください。何もない状態に戻れることに、気づいてください。
思い切って、無防備になってみてください。
無抵抗になってみてください。
「今、ここ」にしっかりと足をつけ、自分の内面と向き合うとき、無抵抗になる心地よさに気づいてください。
不安に飲み込まれてしまう、気を張っていないと悲しみが溢れてきて、涙がこみ上げてきてしまう、その感情の波の中で溺れて、流されてしまうのではないか、二度と自分を取り戻すことはできないのではないか、このようなことを思うかもしれませんが、大丈夫です。抑えていたものを解放していいのです。涙が溢れてくるのを止める必要もありません。ただ、任せていて大丈夫なのです。無抵抗は弱い状態ではありません。身構えることをやめ、何もしない状態になった時、こみあげてくる感情、記憶は消えていくしかなくなるのです。
恐れ、不安を手放すことができるところ、それが0地点です。
0を意識し、常に0に戻るように意識します。これは最初こそ訓練が必要です。しかし自分の0地点の感覚さえわかれば、不安がでれば0地点に戻り、0地点にしばらく居るようにし、体が痛めば0地点に戻り、0地点に居るようにします。
0地点では自分は何もしなくていいのです。すべてをお母さんに任せている赤子と同じです。自分でなにかをしなくてはならない、という世界から解放されるのです。
それは真の休息です。癒やしには休息が何よりも大切なのです。栄養よりも休息です。しかし人は頭が働いてしまい休息したくてもできないのです。休息という体験を大人になって忘れている人もたくさんいます。
真の休息は何もしない、ということです。この0地点においては「病気を治したい」「よくなりたい」「達成したい」「うまくいってほしい」「こうなるべきだ」「自分を認めてほしい」などがありません。これらの自意識からの解放が0地点であり、癒やしなのです。
また自分では気づいていないかもしれませんが、脳は常に活動を止めません。一人でいる時間、寝る直前、寝ている時でさえも、脳は働き続けています。いろんなことを考え、いろんなことを探求しています。その根っこにあるのは欲望です。小さな欲望から大きな欲望まで、脳は常に欲望に振り回され休むことを忘れているのです。
この脳の活動が完全に休息し、活動を停止したとき、どんなに気持ちがいいか、ほとんどの人は忘れてしまっています。真のリラックスはこの時訪れます。例えば自律神経の乱れを本当に治すことができるのはこの「真の休息」だけです。ホルモン分泌の乱れ、免疫システムの異常、低下を治すことができるのもこの「真の休息」だけです。
この「真の休息」と「0地点」は同じ意味です。
病気を治すためには「癒やし」が大切です。癒やされない医療では病気は完治に至らないのです。自分を癒やすことができるのは自分です。どこにいても自分が意識することで「癒やし」は起きます。
ぼーっとしている時間は0ではありません。少しだけ0を体験するときもあるかもしれませんが、テレビを見ながら思考が停止している時、脳は少し休息しているかもしれませんが、私が言う「真の休息」状態ではありません。例えて言うなら「無意識状態」です。「真の休息」時、意識ははっきりとしています。とても静かで穏やかですが、脳はいい緊張状態にあります。半分寝ているような状態でもありません。例えば、アーチェリーで的に向けて矢を引き、静止した瞬間、思考など入ってくる隙間はありません。この瞬間が0地点です。
モーターカーレースで猛スピードでコーナーに入るとき、まるでスローモーションに感じると聞きますが、この瞬間も0になっているのではないでしょうか。あらゆる思考が入ってこれないほどの究極な状態をスピードによって体験しているのだと聞きます。そしてこの状態を体験し、脳が何かを知覚し、悟りや覚醒状態を少し垣間見ると、何度も同じ体験をしたいと思うのです。
野球でピッチャーが足を上げた時、余計なことが頭から離れない人は思ったところに投げられないでしょうが、0地点の意識と同じであれば、狙わなくてもコーナーに決まります。
盗塁をする時に成功したいのであれば意識を0にする。
ペナルティキックを成功させたい時も、3ポイントシュートを決めたい時も、0を意識することで最高の結果が出ます。
仮に失敗したとしても0地点を意識することを忘れなければスランプやイップスになることはありません。過去を引きずる意識を断ち切ることができるからです。
この0地点を意識的に持つことができれば人生が変わるのです。
特別な体験、究極な体験をしなくても、おだやかな日常の中で0地点を意識し、その中にいることはできるのです。
人間関係で悩んでいる人、仕事で緊張してしまう人、自分を変えたくても変えられない人、みなさん0地点という意識を持つことで、自分でどうにかしようとしなくても自然に好転する体験をしています。
これは0地点からプラスのイメージ、プラスの視点は自然に生まれることを表しています。そのプラスのエネルギーは自然で力強く、成功をもたらすものであり、身体的な癒やしを生み出すものでもあります。