自尊心とは自分を大切にする気持ちです。
自尊心は自分の心を豊かにし、不安や恐怖から遠ざけてくれます。
自尊心がプライドと違うのはプライドは他人からどう見られるかを気にする気持ちであって、自尊心とは正反対の気持ちです。
自尊心が育っているか、プライドが育っているかは子供の頃からの育てられ方によるようです。親や教師などの影響によって、自尊心が強くなる人もいれば、プライドが強くなる人もいます。
この両者はどちらも強くなるということはなさそうです。プライドの強い人は自尊心が欠けているように思います。
一般的によく言われるいい意味でのプライドはここでの自尊心に由来していると思われます。ここでいうプライドは人の目を気にすることで自分を見失ってしまう気持ちのことを言っています。
プライドが強く育てられてしまうと自分が好きになれなくなります。そして偽りの自分を演じるようになります。それは他人の目から見た自分であって自然体の自分ではありません。しかし、自分に自信がないため、自分をよく見せようとする本能が働いてしまうのです。
本当は他人の評価などどうでもよいのです。なぜなら他人の評価などいつでも変わるいい加減なものですし、深い意味などないのです。手のひら返しをされてショックを受けることは誰にでもありますが、元々他人の目など気にしていなければそれほどショックを受けることもないのだと思います。
なぜ、自分に自信が持てないのか、他人の目を気にしてしまうのか、人に良く思われようとするのか、
それは自尊心が欠けているからです。自尊心が子供の頃から育てられていないと、その穴を埋めるためにプライドを強くします。そしてそのプライドがあらゆる場面で自分の邪魔をしてくるのです。
一生懸命何かに取り組んで、うまくいきそうな時に必ず達成できない、自分で築き上げたものを壊してしまう、他人と問題が起きる、自信がなくなってしまう、、、それらはプライドが邪魔をするからです。
自然体で周りといい関係が作れて、計画通りに物事を達成できる人は自尊心が育てられているからだと思います。何があっても自分を大切に思え、自信を失わずに、できると信じることができて、他人にも同じ目で見られる、という人は自尊心が強く、邪魔なプライドが入ってくる隙間が心の中にない人です。
自尊心が育たずに大人になり、プライドが強い人は、偽りの自分をいつのまにか演じていることになります。そして、それがエスカレートすることで人生を台無しにしてしまうこともあるのです。
例えば仕事を成功させるためだけに偏ったプライドが働き、自己保身の嘘をつく、人を出し抜く、陥れるなどの行為に発展します。人間の脳は暴走しますから、一度タガが外れると嘘はエスカレートしてしまうのです。
こんなはずじゃなかったと瞬間思っても暴走は止まりません。周りから非難されても自己保身のプライドが自分を覆っていきます。いつの間にか自分を正当化する気持ちに変わり、気が付いた時には人間関係を失ってしまうのです。
また依存症に発展してしまうこともあります。アルコールやセックス依存症などはよい例です。自分を破壊していく行為であることがわかっていても止められません。場合によっては完全に問題が大きくなるまで止められなくなり、健康を害してしまったり、人生を台無しにする場合もあるのです。
また、それより怖いのはギャンブル依存です。この場合、強烈なドーパミンの分泌を脳が覚えることで、その他の快楽では代わりが効かなくなります。それほどギャンブルで脳が覚える快楽は強烈なようです。
依存症に陥る人は必ず自尊心が欠けています。それにより歯止めが利かなくなっていくのです。言い換えれば心が弱いのだと思います。
いくら体を鍛えても、自己啓発をしようとも、自尊心を高めなければ砂でできた城です。今、マンションでも問題になっていますが、大事なのは土台です。何があっても自分を見失わない強い自分は自尊心から作られるのだと思います。
子供の頃から親に上手に自尊心を育てられた人はとても幸せです。厳しく育てるだけが心を強くするのではないと思います。自尊心を育てるというのはとても大きな仕事です。
私の父親はとても厳しく、ほとんど遊んでくれない、どちらかというと忙しさから子供に関心が向かないタイプでした。その父の元、私は自尊心が欠けた子供として育ちました。そしてそのまま大人になり、いつも自信がない人間になりました。しかし、それをどうすることもできずにずいぶん苦しみました。
それに伴って私はどこか集中力の足りない子供で、よく問題を起こしました。ケンカも多く、ふざけるのが得意でよく先生を困らせ親が学校に呼ばれました。私は集団行動ができない子供ではなく、誰とでも仲良くなり、クラスで存在感があるタイプでしたが、ふざけないといられない子供だったのです。一部の女子からは嫌われ、一部の女子からは好かれ、大部分の男子には好かれましたが問題ばかり起こしました。今思えば脳の神経の何かが足りていないか過剰だったのだと思いますが、先生の中にもその個性を認めてくれる先生と問題視する先生とに分かれました。これは大人になっても続きました。上司でもちょうど半分づつ、私を否定する人と面白がってくれる人がいたように思います。
そんな私ですから身近な大人がどのように見てくれるかが人格形成に大きく影響しました。担任の先生は面白がって個性を認めてくれました。ご近所の大人もほとんど個性を認めてくれましたが、肝心の父親が私を認めなかったのです。
父親の本音はわかりません。もう亡くなって15年が経ちました。しかし私の中では父親に否定され続けた自分がいて、とても苦しんだのです。どうしようもない、できの悪い息子、と思われていると思っていたため、私の自尊心はうまく育たなかったのです。
その分母親にはたくさん愛情をもらったのですが、父親の影響は実に大きかったと思います。そして私はコミュニケーションの下手な大人になり、知らぬ間に誰かを怒らせていたりしました。
自尊心が欠けているため、プライドがそれを穴埋めし、いつの間にか自分を大きく見せようとする自分になっていきました。そうは言っても人格的に深刻な問題があったわけではなく、友達も多く、仕事も誠実にするタイプではありました。しかしながら、自分を見失っていたのです。本当の自分がわからずに仕事にのまれ、いつしかそれが完璧主義を強くし、人に優れた人間であると思われたいと言う気持ちが強くなり、自分を苦しめたのです。そしてそれがうつ病、パニック障害、慢性前立腺炎、間質性膀胱炎などの症状につながっていったと思えるのです。
私がどれほど強い完璧主義や善良主義であったかというと、実はそこまで強いわけではなかったと思います。友人にこのことを話すと、そうは見えなかったとよく言われます。私も客観的に思い返して、それほど強いとは思いません。しかし、それが積み重なり、血流の悪化などと重なると大きな問題になることがわかりました。ですから、自分はそんなに当てはまらないと思われる方でもいつの間にか大きな問題になっていることもあるのです。
自尊心を育てるにはどうしたらよいのでしょうか、大人になるまで自尊心が育たなかった人は一生そのままなのでしょうか、そんなことはありません。何歳であってもそこからスタートして、自尊心を育てることができると私は思います。そしてその自尊心が自分を大切にし、他人を大切にし、人生を豊かに意味のあるものにしてくれると私は信じています。
自尊心を育てるには
どんなことでもいいから目標をつくります。そしてそれを達成するための小さな目標を設定します。これは毎日行うルーティンです。あまり大きな目標にしないことが大事です。この小さな目標を達成できたという気持ちを積み上げていくのです。本当に些細なことでもいいのではないでしょうか?自分が決めた目標を少しづつ達成していく過程の中で、前に進んでいる自分をほめて、自尊心に変えていくのです。
例えばハーブガーデンや盆栽を育てることを一つの目標にしたり、体操を続けることや、習い事を目標を決めて取り組んだり、いろいろあると思います。その目標は壮大なものでなくてもいいのです。本当に小さな目標であっても、それを達成することを積み重ねることで自分に自信が持てるようになり、自分を好きになれて、自尊心になるのです。
例えばジョギングであれば、毎日5分でもできればよいという目標でもいいのです。書道をしているのであれば、段の取得などではなく、一年継続できればいいという目標でいいのです。
呼吸法であれば一日3分でもやれば自分をほめてあげるのです。小さな目標をたくさん達成できていけば、それが大きな力になるのです。
大きな目標を広げて3日で止めてしまうのであれば、自分に対しての不信感しか育ちません。これならできるという目標を背伸びをせずに設定して前に進んでいればよいのだと思います。誰に認めてもらわなくてもいいのです。すごいねえ、と言われることが目的ではないのです。
自分が自分を信じられるかが大事だと思います。そうやって少しでも前を向いている人は必ず周りの人にいい影響を与えます。たった一人で歩き続ける背中を誰かが見てくれているのです。
どんなことでもいいから自分の道を見つけた人は幸せです。それを歩いている限り、邪なものに流されていくことはありません。道を見つけられないから常に迷い、簡単に魔境に流されてしまうのです。
親が子供に対して自尊心を育ててあげようとするなら、
これは実は難しいですね、私も子供が3人いますが簡単ではありません。ついつい自分の理想がでてしまい、思い描いたようには決していきません。ですから私も勉強中です。
子供たちには自尊心が強く、他人を思える人になってほしいといつも思っています。