人が病気になる原因を全てではなくても正しく理解していくことで、どうしたら病気にならないでいられるか、死ぬまで健康でいられるか、という大きなテーマについてブログを書いていきたいと思います。私は本当に健康でいられるためのメソッドを長年研究していますが、40年くらいいろんな健康法や健康について独学を続けることで、ある程度のことがわかりました。
もちろん私のわかっていることなどほんのわずかです。全く参考にならなかった、期待して損したと思われる方もいると思いますが、どなたかの助けになるとは思います。最後までお読みいただければ幸いです。
私のメソッドは私自身の実践体験から生まれました。若いころからヨガや呼吸法など武道も含めて真の健康について求め続けました。なぜなら私自身が虚弱体質であったことと、生まれ持って脆弱な精神であったためだと思います。今思えば普通の人より多くのことを感じてしまい体にそれが来てしまいます。社会生活を続けることはとても難しいと感じていましたが、気は心であり、身体はそれにすべて従うという理をしることになり、気を勉強、練習しました。主に呼吸法や体を動かして気が通りやすくする練習、そして気が落ち着くための練習です。肉体を持ちながらも肉体にとらわれずに気を主として肉体を鍛えていく。このようなことを時には先生に習い、別の先生のところに行き研鑽を積む、それと同時に治療師としての修行、経営者としてビジネスの修行、そして長い闘病からの復活体験、それらがすべて繋がって大きな流れとして感じられるようになるまで長い時間が必要でした。
しかしすべての体験はつながっていて、ひとつも無駄なことはなかったと振り返ることができます。私たちの人生は求めれば与えられます。私の人生は求めるがゆえに体験を与えられ、私なりにそこから学び続ける根性と素直さがあったように思います。もちろん遠回りもしましたがそれも体験かなと思います。
私たちは一人で生きているのではなく実は守られて生きています。その存在によって導かれています。どんなに誘惑に駆られ危ない橋を渡ろうとしても最後まで導こうとしてくれる存在がすぐ隣にいます。
その導きに素直になったとき私たちの道は開いていくのです。その声は今もすぐ近くにあります。つらい出来事、失敗と思える体験、そのような苦しいときにこそ聞こえる声があります。すべてがうまくいっているように思えるとき、私たちは有頂天になりその声を聴こうとしません。やがて凋落の時期を迎えるころに自分を取り戻した人だけが本当の答えを見つけだすことができるのだと思います。
人間は欲に人生を妨げられるのです。欲深くなっていくことで道を見失いやがて迷子になります。気づいたときは暗闇の中にいます。絶望という暗闇です。
欲は人のものを奪おうとします。自分がもっと多くのものを持とうとして人のところから奪うのです。
そしてやったらやり返されるという因果の波で安らぎを忘れ、一番大切な健康が失われていくことに気づかないのです。健康は安らぎの中にあります。手放すことでそれは得られます。毎日の生活でどれだけ安らいでいられるか、何が起きても動揺しないでいられる、何が足りないと言われても足りていると思える。奪われているものなど何もなく、「こうでなくてはならない」から解放され、何があっても気にしない、それでいいと思えること、元々問題などなかったと思うことで貪欲から抜け出ること、ここに健康の秘訣があると思います。
人間は共通意識でつながっていて、人類全体が貪欲にとりつかれています。より豊かにという欲求は物質ではなく、精神的な優位性、優越感でもなく、ただ心の豊かさにあると思います。
そして自分の人生、自分の成功、自分の個性などから解放されることでまず心が健康になり、それに従うように身体は病気知らずになります。自分の人生は人から見てどうであるか、かっこいいか、ださいか、優秀に見えるか、馬鹿に見えるか、そのような幻想から解放され、そんなところには安らぎはなかった、本当に求めているものはなかったと思えた時から苦しみの呪縛は解放されます。そうすると積極的な気で心身は充実し本領発揮ができるようになるのです。それは自分はこうでなくてはならないという決めつけではなく、持って生まれた才能との出会いです。自分に裏切られるという感覚から解放され、自分はこんなこともできるんだ、こんな才能もあるんだと日々発見する毎日に変わるのです。多くの才能あると思われている人々はアイデアに困ることがありません。湧き水のように湧いてきます。それはどこかで欲ではなく世の中を明るくする、楽しくする井戸を自分の中に掘り当てた人であり、エネルギーの源泉でもあります。
自律神経の崩れと言いましても人間は身体ではなく心であるというところまで戻らなくてはなりません。私流に言えば心というのはいろんなものが混ざってしまうので、心を掴もうとすれば迷いに入ってしまうので心ではなく気です。それも個人的な気ではなく全体的、普遍的、無限的な気です。この気と一体になることに健康の秘訣があります。ここに入っていくことが私たちはできるのです。その入り口さえ見つけることができたら迷いが消えます。
迷いというのは不安や恐怖、そして批判、不満、怒りなどです。ここに定住してしまうといつも振り回され人生が苦痛の多いものになってしまいます。そして病的なものが現れます。
そうではなく苦痛のない気は存在するのです。ずっと安らいでいられる気とひとつになれるのです。そしてその入り口を欲で探しても見つかりません。外を探しても探し出すことができないようにこの世界はなっているのです。
しかしながら自分の中にその入り口は存在していて必ず見つけ出すことができるのです。
そのために大切なのが心を落ち着かせていく、この一点なのです。
呼吸に意識を向けて丹田に気を落としていく、すべてを鎮静させていく、そうすると狂っていた自律神経は秩序を取り戻し、とても強い繋がりが自然界とできるようになります。そしてそれに伴い身体のホルモン分泌、神経伝達、免疫システムなど体の健康を維持する機能がすべて正常な歯車で動き出すのです。
部分的に見ても健康は取り戻せません。身体だけを見ても戻ってきません。心を見ても迷うのです。
本来存在する全体の気というのは生命そのものです。生きている以上誰にでも同じものが流れています。生命はすべて同じ、病んでいる人も病んでいない人も、エネルギーにあふれている人も今にも死んでしまいそうな人も同じ生命が流れています。
ここが大切なのですが気は病まないのです。生命そのものは病みません。ただ心と身体に病の気が充満していて、本来の生命の輝きを妨げます。エネルギーは曲げられ、なんども痛みは作られます。精神は病んだまま治らないように思いますが、生命そのものは健康そのものなのです。
ここにすべての病が克服できる鍵があります。生命に帰るのです。これが私のメソッドの神髄です。
どうしたら生命に帰れるのか、難しく考えないでください。難しく考えている思考から離れること、治らないと思い込んでいる既成概念から離れること、そしてそれを力ないものとして解体することなのです。流れ込んでいる命は健康そのものです。今にも死にそうな人でもその生命は確かに身体に流れ込んできています。それを病んだ体だととらえるか、病んだ心だととらえるか、それとも生命自体は病気はないと深く信じることができるか、そこに私たちの分岐点があります。
病的な人生、ずっと病気から離れられない人生を送っている人は自分で病気を認めてしまっているのです。見ているところが病気の世界なのです。そうではなく、そんなものを相手にせず、生命だけを感じるのです。わずかな生命感しか感じないかもしれない、しかしダイレクトに生命の気に繋がることができたら一瞬にして生命力は蘇るのです。もちろんすぐに立てなかった人が立てるとは言いません。しかし、明らかにエネルギーが入ったと感じることができます。私の体操教室の生徒はそれを体験しています。
ここでメソッドの話ですが、これは精神論ではありません。病気がなく健康になると思い込む、このようなことではありません。ポジティブ思考をやり続け、毎日一万回健康になったと言葉に出せばそうなるという話ではありません。このようなやり方ではなく、もっと自然に生命との一体感を感じられる、そしてあらゆる思い込みや既成概念が崩れて意識が解放されるメソッドです。
私は体操、運動でこのような健康法を作りました。15年以上かかりましたが間違いのないものを作りました。呼吸法をしながら体をゆっくり動かします。無理をせず、体を鍛えよう、この筋肉を動かそうなどと意識する必要もありません。それよりも生命の気を感じ、一つになって動くのです。するとエネルギーが入ってきます。体に気が流れだし、血流も変わります。元気が入ってきて頭がすっきりして心と体が統一されて健康であることの実感が自然に強くなってくるのです。
よく太極拳ですかと言われますが、そうではありません。全く違います。太極拳はよく知らないので多くは語れませんが、目的が違うと思います。
何をすればよいかは必ずわかります。何度もこの文章を読んでみてください。ご自分の思うままに体を動かすのでもいいと思います。ダンスでもヨガでも。ポイントは頭で考えるのではなく、解釈するのでなくただ感じるのです。そのシンプルさは多くの方の想像を超えています。価値判断を捨てるところが入り口なのです。この体操でどうなるの?どうして?ああ、そうか私の思った通りだった、このような価値判断がいらないのです。ポジティブ思考もネガティブ思考もない世界、それもない一点、それはただ現実です。それ以外が幻想です。幻想を追いかけるから病気から離れられないのです。現実はこの一点にしか存在しません。その一つが今という一点であり過去は存在していない、未来も存在していないという瞬間です。これは当たり前なのですが病むということはこの瞬間が感じられない病気なのです。この瞬間は今にあり、それが続いていくのです。幻想はこの瞬間を感じさせないようにさせ、幻想の世界に誘惑します。すると身体のありのままの感覚は失われ、心は不安定な過去の感情により霧の中に迷い込んだようになり、結果的に生命そのものを体験することができなくなるのです。
難しいと思うかもしれません。言っていることがわからない、危険な思想だと思う方がいるかもしれません。しかしすべては体験することで証明されるのです。難しい理解を必要とせず、ただこの体操をするだけで、このやり方で呼吸法をするだけで生命力が蘇ってくる。このようなものを作りたくて、天に願いました。
今は治療院などの仕事が精いっぱいなのですが、もう少ししたら体操、呼吸法の教室を再開したいと思っています。今は体操教室、道場はありませんし、個人レッスンもお休みしています。
そして今回の健康法を根底にしてどうしたら病気にならないか、というテーマをさらに深堀していきたいと思います。
最後になりますが、私自身、欲から解放された人間では決してありません。ただ正直に自分を見て、以前よりそのような個人的な執着から明らかに解放されているのがわかるため、情報発信させていただいています。以前の私は会社を任されていたころなど、欲深い生活をしていた時期もあるので、私なりにエゴ的な選択から解放されているということです。以前はこうならないと不満、なんでこうなんだと怒ってしまうこともたくさんありましたが、自然に楽になってきました。自分をどのように思われようと気にしなくなりました。以前の私を知っている人からしたら変わったと思います。ですが当然ながら私もまだそのプロセスの途中にいます。私よりプロセスが進んでいる人もいると思います。私のメソッド、アドバイスがお役に立てる方がきっといると思い、やっているに過ぎません。私よりも健康状態がいい人もたくさんいるでしょう。しかし私は深刻な自律神経失調症、うつ病、パニック障害、腸過敏症候群、慢性前立腺炎、不安神経症、間質性膀胱炎などと診断されて寝たきり状態になり、何度も自殺を考えるようなところから劇的に復活した体験があり、もちろん健康ではありますが誰よりも健康に自信があるというよりはもうすぐ60になるのに年々元気になり、動けるようになっている自分がうれしくて誇らしいのです。本当に健康は戻ってくるのです。すべては心次第です。私は癒される体験をしました。癒されるとはどういうことか、私なりに体験させていただきました。そしてこれを多くの人に分け与えたい、共有したい、延長したい、このような思いでやっています。
最後までお読みいただきありがとうございます。

